2008年12月1日月曜日

ヘッドフォンから逃れたい/朗読WSでのこと

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小生が音楽を聴くときはほぼ必ずヘッドフォンだ。PCで何かを視聴する際も、ネットで動画を観る時もレンタルDVDを鑑賞するときもそう。ベースの練習時もALBIT製のプリアンプに楽器とヘッドフォンをそれぞれ繋いで行っていた。コンボ型のスピーカーアンプも所有しているがここしばらく使用していなかった。
で、今日の朝練習で久しぶりにスピーカーから鳴らしてみたら
これが気持ちイイの何の。
お隣に遠慮して音量絞りまくりにもかかわらず
耳だけで音を受けるのとは全く違う。

じつは未だスタジオ練習というものをしたことが無いワタシ、でかいアンプ+スピーカーキャビネットももちろん未体験。どんなものなのか想像しただけで興奮してしまった。

昨日から久しぶりにiPodを使い始めたので結構耳が疲れているようだ。気をつけなくては。
幼い頃から本好きであったが、暗い中で読んだり寝転がって読む悪癖があったせいでかなり目を傷めた。せめて耳は大事にしたい。


先日のWSで印象に残っていることをこれから定期的に書いてゆこう。

水城氏の指導の序盤で、現代朗読協会の基本理念について説明を受けた。

まず朗読という行為において
「朗読者」「テキスト」「聴衆」の三者が必ず存在する。
一般の朗読ないし音読はテキストの情報を正確に聴衆に届ける、そのことしか見ていない場合が殆ど。

たしかにテキストの内容を損なわず、余計なものを足さず正確に伝えるのが前提だが、我々は何より先に「朗読者」と「テキスト」の関係というものを真っ先に考える。
そして「朗読者とテキストの関係」を聴衆に提示する。

そして「このように読みなさい」という手本を示すことは(少なくとも積極的には)しない。
朗読者自身の在り方、テキストの解釈、表現を外からあれこれ弄りまわさずその人なりの朗読が成立する条件を提示する。

「私自身は朗読を行っていません。私の立場で表現行為をすれば、学んでいる人達に私自身のやり方を押し付けることになりひいてはその人自身の初期衝動・解釈・表現を損なうことになりますから」

今回最も印象に残ったのは、もっとも考えさせられたのは水城氏のこの言葉かもしれない。

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