2008年5月29日木曜日

音楽と舞踏

音楽と舞踏の関わりというものにいつからか関心を持ち始めました。

今年に入ってから東京で受講したレッスンで、先生から伺ったお話。

「ピックを用いたオルタネイトピッキングと比べて、指弾きはテンポをキープする上で困難な面があります。(中略)…演奏の際は足や上体など、身体の一部でリズムを刻み続けることが必要です。」

身体でリズムを取る、ということでただ足踏みするよりもっと意味のある事が出来れば・・・ぼんやりと考えていました。

ふと思ったのがタップダンスの存在でした。
人の最も基本的で日常的な動作である「歩く」ことをフレーズに昇華し、ヒール・トゥ・グラウンドを楽器にリズムを刻み続ける・・・

実は今タップにも興味を持っています。
今日初めて行き着いた、タップダンサー松本晋一氏のウェブサイト
その中でこちらのコラムを特に興味深く拝見したので紹介させていただきます。
  タップコラム CDで踊るということ

去年ベースを始めて間もない頃、当時職場で一緒だった人にそのことを話したら「じゃあバンドやりましょうよ~」とじつに気楽に言われて焦ったことがあります。彼はGREENDAY好きだったのでそのコピーバンドをやりたかったらしい。一方私と言えば地味~な基礎練習をコツコツやるばかりで耳コピもバンドもまだ早い、と思いこんでいた。(実は今もそう。というかベースを始めるにあたり、何故か“一年はセッションもバンドも人前でやることもせず、只只基本のみに打ち込む”と決めてしまったもので・・・何となくですが。)
そのとき彼には「もうしばらく待ってくれ」としか言えませんでしたが、生来の妄想家である筆者は実際に彼と演奏することについて思い描くことを始めていました。

GREENDAY・・・スリーピース・・・彼がギターボーカルで俺がベース・・・ドラムはどうする?・・・ドラマーが見つからなかったら?ドラムマシーンに二人で合わせるか?・・・いやリズムパートも俺がやるというのはどうだ?フットスィッチとシンセなどでバスドラを発音して・・・他の音はベースの奏法で置き換えられないか?ラリー・グラハムという先達もいる・・・

そんなことをベースを手にして数日後に考えてました。たどたどしくクロマティックで押弦したり、指板認識(何処がどの音か)がなかなか覚えられず頭を抱えたりしながら。

その彼はもう部署が変わってしばらく会っていませんが、
当時の思いつきを何らかの形に出来れば、と今でも考えています。

共鳴するものたち

―「植物が音楽に反応する、という話を聞いたことはないか?」
 彼が訊ねて来た。
「ああ、聞いたことがある」

「草木に耳は有るか?」

「いや…無い、と思う。」

「音楽は、他の多くのものと同じく”波動”だ。何かから他の何かへ波を打たせながら伝わっていく。我々人間は音楽を耳で聴くものと信じて、違う見方や感覚について思うことは少ない。“音楽を見る”“花を聴く”などということは思いもよらないものだ。耳で聞くものは目に見えない、目に映るものは音に聞こえない。

我々は音楽は耳でとらえられるものと決めてかかるが、それは誤りだ。

何時何処であろうが、波動はあらゆる感覚で捉えられる。

音楽、音そのものが目に見えることだってある。

心身が開放され、感覚の全てが世界と繋がっているなら。」

Victor L. Wooten "THE MUSIC LESSON" page240 より―

2008年5月23日金曜日

己を表現するとは?

自分は何者なのか?
なぜ貴方たちの前に立ち、音を出しているのか?
その音で何を語ろうというのか?

何を語れるというのだろうか
自らの生い立ち、出会ってきた音・映像・匂い・触感・あらゆる体性感覚の記憶?
己が信ずる真善美、
肉体と精神双方に沈着したpoetry?
それは生まれた後に重ねられた記憶のみで描かれるのか。
この世界に生まれ落ちる以前の記憶というものもあるのだろうか。

・・・もっと掘り下げてみたいところですが、
今夜は少し酒が過ぎたかも。
ワイン一本一人で空けた程度ですが。
ちょいとギターの練習してから寝ようかしら。
それでは皆様、お休みなさい。

ahead,just,behind

数日前にたまたま”多弦 ベース”のキーワードでgoogleから検索して、こちらのサイトを知りました。

InnerWood

代表の木内様のブログを先に読んだ後、会社のウェブサイトをチェックしたのですが、二十代のころ筆者が郷里から上京して初めて住んだのが東中野だったこともあり何やら妙に親近感を覚えてしまいました。

こちらの記事を拝見してまだ数日ですが、以来その内容を意識したトレーニングを何となく続けています。
以前から行っていた基本練習で、オルタネイトのピック弾きで三連譜を弾き続けるパターンがあったのですが、それを応用・・・というほどの事でもありませんが、メトロノームのクリックに三連譜の最初・真中・最後の音を毎回区別して合わせていくということを試しています。
真中をjustとして三連譜の頭をahead、最後をbehindに見立ててup&downのオルタネイト・ピッキングでクリック音に合わせて・・行きたいのですが。この場合頭とクリックを合わせるのはタイトにいけるのですが、真中・最後は全然駄目。思うようには行きません。

これはかなり重要な練習と感じているのでしばらく継続して取り組むつもりです。

2008年5月5日月曜日

Bass 5

音楽に耳を傾けるとき、ベースそしてドラムに意識を集中することが確かに多かったと思います。

もちろん物心ついてすぐなどというわけではなく、比較的ましな環境を得てからですから高校生以後のことでしょう。 そんな小生が実際にベースを手にするのは既に中年の域に入ってからでした。

きっかけはいくつかありましたが、ひとつは彼の演奏をネットで見聞きしたこと。



Victor Lemonte Wooten


日本では知る人ぞ知るという方ですが、小生も動画共有サイトで”bass"で検索していくうちに初めて彼の動画を目にしました。

上の動画は彼が在籍するバンドの一つ、Béla Fleck and the Flecktones のライブにてアンコール後披露されたソロ演奏です。とにかくこのプレイを観て心動かされない人がありましょうか。

同じ時期に読んでいた一冊の本がありました。

Julia Cameron著 "the ARTIST'S WAY"

劇作家、脚本家である著者が友人達に乞われて始めた「創造性を回復する為のワークショップ」。

日に日に参加希望者が増え、生徒の一人からその内容を本にすることを提案されて同書が著されたのがおよそ十五年前。以来ベストセラーとして版を重ねるこの本はその内容すべてが示唆に満ちたものですが、小生が最も心を動かされたくだりは・・・

講座の生徒「でも私が実際にピアノが弾けるようになるとき、私は何歳になっていると思います?」

著者 「モノになろうがなるまいが、過ぎてゆく時間は同じです。」

ならば戻らない過去を言い訳にするのは止めて、今あなたの心を占めているそれに何を捧げるのかを考えて行動してみてはどうか―

「始めてみるにはもう遅すぎる」と随分長い間煮え切らないままだった小生ですが、遅まきながら踏ん切りがつけられたのは上の二つに大いに心動かされたが為です。



2008年5月2日金曜日

Bass 4

二度目に楽器熱が盛り上がったのはそれからまた数年後のこと。

何故か「トランペット」でした。
そもそも何故トランペットに興味を持ったのかはよく覚えてないのですが、その頃マイルス・デイビスをよく聴いていたせいかも。
同じ頃知って好きになった中山うりも元ペッターである事も理由に挙げられるかもしれません。

マウスピースで音を出せる所までは何とかなったのですが、前回と同じようにそこから先何をしてゆくかでまた壁に当たってしまいました。

具体的には聴音と読譜、プラス発音それぞれの結びつきということになりましょうか。

五線譜上の音符がいかなる高さの音程なのか?その音は三つあるピストンをどう操作すれば発することが出来るのか?そもそもヤフオクで格安で買った自分のトランペットは「正しい音」が出せる状態なのか?
教則本や専門誌を読んでもそこのところは如何ともし難く・・・それよりレッスン行ったほうが話が早かったのではと今は思いますが、あの時は何となく人に教わることを疎ましく感じていたようです。

一人でできる限界の所までやりたい、と。その限界はお話にならない低さでしたが。

そのトランペットはまだ小生の部屋のクローゼット奥にあります。いつかまた挑戦したいと思ってはいるのですが、どうなりますことやら。