2008年6月4日水曜日

音無き音楽

およそ五年前のこと、auの携帯専用のウェブサイトがありました。

その名は「ドレミカフェ

CASIOの提供で運営されていたこのサイトは運営側が執筆する小説―渋谷区恵比寿の某所で営まれている設定の架空のカフェを舞台に描かれる、そこに集う人々の日常―の連載を中心に、読者が参加できるサイト内のコーナーも多く設けられ、小説と各コーナーがリンクしている仕掛け等実に斬新でした。

当時はパケット定額制も存在せず、サイト巡りが日課だった筆者は通信費を抑えることに頭を悩ませていたものです。

小説と各コーナーのリンクとは、たとえば登場人物が掲示板に書き込みしてきたり、書き込みする様子が物語中に描写されたり、映画・CD・本の紹介等のテーマで各キャラの日記がアップされたり、物語中登場するカフェのグッズが実際に販売されたり・・・ひところ言われていた「メディアミックス」の試行の中でも最も意欲的なもののひとつであったと思います。

そのサイト内に読者からの投稿を受け付けるコーナーがありました。
内容は「小説」と「ポエム」

何故?それは解りませんw
ポエムって・・おいおい・・・
初見のときは思ったものです。

でもそれが結構盛り上がっていたのです。投稿だけでなく各作品にコメントを書くことも出来るし小説専用、ポエム専用の掲示板もあったりで多くの執筆者と読者がやりとりしていました。

初めは馬鹿にして見向きもしなかった筆者もいつしか熱心な読者に
なっていました。

ただ、多くの作品はやはり未熟といわざるを得ないものが殆どでした。
元の詩について云々する以前に、ろくに改行すら
されていないようなものとか。

「ポエム」ですからそれは文字として視覚から認識されます。

媒体は電子情報。この場合はケータイの画面。

そこで自分の内から生まれてきたものたちをどう見せたいのか?

「場」は紙かディスプレイか。本かケ-タイかPCのウィンドウの中か。

一行は何文字か

行間はどのくらい空けるのか

それだけでリズムとテンポ、そしてグルーヴは決まってしまう。

それを決めた上で、意味をもつ言葉を乗せていく。

ぼやけてるどころでなくその辺のビジョンが「無い」
これは作品として成立するわけがない。
投稿した後に公開されたページをみて確認・修正する、程度のことも
してなかったんだろうと思います。

でも、いたんです。
そうした素人たちの中に混じって、素晴しい詩人さんたちが何人か。

その中でも筆者がもっとも、今でも心酔している詩人さんがいます。

その方の通り名は「紫苑」

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