2008年11月29日土曜日

粋な選曲;国籍法改正案阻止へ向けて

国籍法改正案まとめWiki

最新の報告・・・参院本会議の採決が12/3にまで延びた。大手マスコミが如何に情報統制しようと国民が動き、国会議員の中の有志が動き地方議員の多くも動き始めている。この国を瓦解させてなるものか。

先にメールで実家にこの件を伝えていたが、反応はなかった。今回FAXによる抗議を参院法務委員会メンバーに送るのに電話で母に協力を依頼した。
始めは「あんたどこの団体に入ったー!?」などと言われたものの、あくまでネットで情報を観て一個人、一国民として動いていることを伝え、法案の概要と主な問題点、画策していると思われる集団の名をあげると「あいつらかコンチクショー!!!」とどうにか理解してもらえた。
(意訳です、ほんとはもっと上品な人です)

陳情書の書面を委員会の各議員のFAX宛に転送してもらえることになった。
コンビニから送るの高いんだもん!一枚50円でも結構負担なんだよ!


先月、二年愛用してきたiPodを壊してしまい寂しい思いをしていた。
今日迷った末になけなしの金で、iPodで一番安い
1GBのshuffleを買ってきた。
iTunesに同期して、夜買い物に出る際携えて出た。
シャッフル再生で、卸したての最初の一曲目がLina Ohtaが歌う
"PUZZLE-RIDDLE"..."EX MACHINA ORIGINAL SOUNDTRACK"の最後に収録されている曲。

その歌のサビの歌詞が...
"I hope,Everything is gonna be alright"

誰かが言ってた。
「iPodのシャッフル再生は時に
とんでもなく持ち主の意に沿う選曲をしてくれる」と。
ああ、確かにそうだ。

検証;日テレは国民の声をすくい上げるか?握りつぶすか?

現代朗読協会ワークショップの感想を早くまとめたいが、先にこちらから。

国籍法改正案まとめWiki

先のエントリで国籍法改正案について触れたが、この件について最も早く危険を察知し公に訴えたのがジャーナリスト水間政憲氏である。

現在ご自分のブログ等は無いようであるが衆議院議員の戸井田とおる氏のブログのコメント欄にて水間氏の最新の報告を読むことが出来る。

水間政憲氏ブログコメント+出演動画まとめサイト

その最新コメントでの氏の提案である。テキストを転載させていただく。

―現在、日本のマスメディアは、国民が安全保障等国際的水準に覚醒することを、検閲しているのが現状です。それを調査検証する手段がありませんでした。そこで提案します。国民の声を正確に反映させるためのテストをして見ましょう。―

―毎週月曜日、日テレ『太田総理と……』番組のコーナーに「国民は怒ってる」があります。ベスト5は、いつも番組内で紹介しています。ベスト1は数百件の応 募です。そこで、皆さんにお願いします。そのコーナーにメールで「国籍法改悪反対」とか「なぜ、重要法案がほとんど国会議員が知らない中で衆院本会議で可 決したのか」「偽装認知を認めるような国籍法は許せない」などを応募して下さい。―

投稿先1:太田光の私が…国民の怒り受付フォーム
http://www.ntv.co.jp/souri/ikari/entry.html

―そして、応募した方は、丸坊主日記の前回(?)の「粘り強く平成研究会で 発言」に、必ずコメントを書き込んで下さい。そのトータル以上でなければ、日テレは検閲してることになります。―

投稿先2:前述の戸井田議員のブログ、11/21の記事のコメント欄です
http://blog.goo.ne.jp/toidahimeji/e/3d405e016a5b7d57fd4468f9957b64aa#trackback-list

太田総理に怒りの声を届け終えたら、タイトルに”【日テレを調査検証】”とコピペしコメントを投稿してください。

2008年11月24日月曜日

国籍法改正案

国籍法改正案まとめWIKI

我ながらこれほどの大問題に今の今まで無自覚であったことを恥じる。

「国籍法」少なくとも数回はネット上で目にしていたはずのこの単語、今日始めてその詳細を確認するに至った。かねてから愛読していたこちらのブログで言及しておられるのを目にしたからだ

米流時評;亡国への傾斜「日本の夜と霧」

文字通り傾国の危機に向かい、何が出来るのか・・・
誰の目にも触れることはまず無い、筆者本人の為のノートに過ぎぬこのブログだが何かの縁で訪れてくださる人もいるかもしれぬ。
せめて最も解りやすいと思われるソースを添付しておこう。
あとはひとつでも多く、筆者に出来る活動を行うのみだ。
もう猶予はない。




2008年11月23日日曜日

以前やってたPodcastのこと

11/23のつづき
はじめは古文をとつとつと読んでいく内容で考えていたが、たまたま青空文庫で目にした夢野久作の「悪魔祈祷書」を気に入ってしまいこれを第一弾とした。
古書店の老店主の一人語り(正確にはある客との対話での店主の発言部分のみが書かれている)、という体裁の作品で、なんというか素人のくさい一人芝居になってしまった。

表現上のことは置いて、録音・編集のことで思い出すまま書いてみるなら・・・
iPodにボイスレコーダーのデバイスを突っ込んで左手にかまえ、右手で原稿を持ち読みを録音していった。このデバイスが結構優秀だった為、所謂吹かれノイズだけでなく、舌がたてる音や座ってるベッドの軋む音、自宅近くを通過する新幹線の音までばっちり録音されるのだ。
後にフリーソフトのSoundEngineでしこしこそれらノイズ部分を削除してゆくのだ。他の機能はまるで使いこなせないくせに「切り貼り」だけは習熟した。

次こそ古文に挑戦、のつもりがまた夢野氏の「斬られたさに」を読み始めてしまい、またしても、否前作以上に気に入ってしまった。
台詞の端正さ。対話の美しさ。何より登場する主要人物が皆個性と魅力に溢れ、読後この作品がこの一編で完結してしまった事が残念でならなかった。あの結末しかなかったのでしょうか、夢野先生?

そして勢いだけでやり始めた。
iPodで快適に聴いてもらう、ということにかなり腐心していたと思う。
iPodの場合「歌詞」で一度に表示できるテキスト量は4000字と知って、全テキストを分割する際それを目処にして音声ファイルの方も編集した。mp3と共にtxtファイルで同じ箇所の文章もアップした。
ブラウザでココログのページ上でも視聴できるが、iPodに落として聴くとき
「斬られたさに」が一枚のアルバム、分割した各ファイルがその中の一曲で、それを再生する際に「歌詞」でテキストも同時に見られるようにしたかったのだ。

ブログを用いて音声とテキストを共にアップするやり方は自分でも気に入っていた。再開する際もこの形式を踏襲するつもりだ。特に古文など、国語教育的な効果を意識する場合は耳と目から同時に作品を鑑賞できたほうがいいと思うのだがどうだろう。

その後不本意ながら表現上の悩みに独りでは答えが見出せず、「斬られたさに」の終盤で更新は止めてしまった。

水城氏と現代朗読協会のことも知っていたものの、師事することまではまだ考えられなかった。
実際に御指導を仰ぐまでに二年近くを経たことになる。

現代朗読協会ワークショップへ

水城雄氏を知ったのはオーディオブック「誰も教えてくれなかったジャズの聴き方」からである。
国内のジャズ界でピアニストとして活動された後、職業作家として文筆業に軸足を移された著者が一般の初心者リスナーへむけて記したジャスのガイドブック、そのテキストを元に製作された音源だ。

iPodを第5.5世代が発売された時期に初めて購入し使い始めた。Podcast、オーディオブックを聴くようになったのもそれからだが一番最初にiTunes STOREでダウンロードしたのが「~ジャズの聴き方」であった。

テキストの内容は素晴しいものであったと同時に、他の部分で幾つか考えさせられることもあり筆者にとっては〝原体験〟にあたる、様々な意味で重要な作品だ。

以前筆者は朗読のジャンルでPodcast配信を試みていた時期がある。
今までに「声質」を褒められたことが何度かあった。しかしながら実生活では声量も少ない・滑舌も悪いでこちらの話を聞き返されることが多く、これがコンプレックスになっていたのが実情である。
男は三十過ぎたら手前の顔に責任持て~と誰が言ったものかは知らないが、自分が他者にどんな印象を与えているのか?顔だけじゃない、声も話し方も姿も生き様もだ。それを弁える事の重要さに気づきつつも、真に向き合って取り組むことを怠ってきた。
ほんとに遅すぎた。遅きに失した?否まだまだ。

コンプレックスの払拭、己の真価を問う...とは大げさかもしれないが
あの時褒められたことは真であったのか、もしそうならばそれを確かめ続けたい、動機の芯にあったのはそんなところだろうか。

結局その配信は肝心の「読み」「表現」の部分で行き詰まり更新が滞ったまま、プロバイダの解約に伴うブログの閉鎖で全て消えた。本人の得た経験以外に、残すべき価値はそれほどなかった。

この歳になって思う所あり、三つの「手習い」を始めることを決め内二つの為に名古屋近郊に転居してきた。ひとつは音楽。ひとつは舞踏。
で、それらとは別の最後のひとつが朗読。

水城氏は音楽、執筆活動と並行して「現代朗読協会」を主催され精力的に活動されており、ブログもほぼ毎日更新しておられる。(誰かとはえらい違いだ)
そちらで日々の活動を拝見していたが、今月WSが名古屋で開かれると知り御指導を仰ぐことに決めた。
やりかけの事に決着をつけたいのだ。

2008年11月5日水曜日

引越し完了

三年暮らしてきた岐阜を離れ、愛知県に越してきた。

改めて岐阜に愛着があったことを再認識した。

身近にあった山の頂と雲、清浄な水を常に供してくれた神社の井戸・・・人付き合いは殆ど無いに等しいものの土地への執着は強かった。

ともあれ、こうして越してきた。幾つかの目的のために、岐阜に居続けるよりは有利と考えたからだ。

今日市役所で一通り手続きを済ませてきたが、そこで小野道風の名を目にした。
ここが”とうふうさん”縁の地であることを初めて気づいた。

そして、もう永らく疎遠になってしまった高校時代の恩師のことを思い出した。
芸術科の、書道担当の教師だったその方は、路傍の石同然のつまらぬ小僧であった小生の個性を認め、評価してくださったおそらく最初の人であった。

二十代の頃は遠ざかったままであったが、この歳になって、再び毛筆に手を伸ばすようになってきていた。

これもまた縁というものか。

三十の手習い、先に考えていた二つにもう一つ加えてみようか。